ナミビアはドイツに援助より補償を要求 その理由は!?
こんにちは、水野です。
今日はナミビアのお話です。
まずはナミビア共和国の概要です。
地図↓
アフリカ南西部に位置する共和制国家である。北にアンゴラ、北東にザンビア、東にボツワナ、南に南アフリカ共和国と国境を接し、西は大西洋に面する。なお、地図を一見すると接しているように見えるジンバブエとは、ザンビア、ボツワナを挟んで150メートルほど離れている。首都はウィントフック。イギリス連邦加盟国。
当初ドイツ(一部イギリス)が植民地とし、植民地時代の名称は南西アフリカ。第一次世界大戦以後は南アフリカ連邦の委任統治下に置かれていたが、第二次世界大戦後の国際連盟解散を機に国際法上違法な併合を行った。南アフリカの統治時代には同様の人種隔離政策(アパルトヘイト)が行われ、バントゥースタン(ホームランド)が置かれた。その後1966年にナミビア独立戦争が始まり、1990年に独立を達成した。
ナミビアは一人当たりのGDPは6000ドルを超えていて、アフリカの中では裕福な国のひとつになると思います。
また、脆弱国家(失敗国家)ランキング2018では、105位で中国の89位よりも上位であり、国自体もアフリカの中では安定していると言えると思います。
そのナミビアがドイツが20億豪ドルのローンと助成金の供与を行いました。しかし、ナミビア側は300億米ドルの補償を求めています。
それには、深い理由があります。ナミビアは20年以上ドイツの植民地でした。(ドイツ領南西アフリカ)
その中でドイツは1904年から1908年にナミビアの民族であるヘレロ人の80%以上が殺害されました。その補償をドイツに求めている訳です。
その大虐殺のことをナミビア人は忘れていないのです。
私たちも、広島、長崎の原爆のことを忘れないのと同じようにかれらもドイツのことを忘れていないのかもしれません。
アフリカは年ごとに発展しています。そして、何年か前の「アフリカ全体は貧しい」というイメージは早く捨てて、日本もアフリカの対策を考えて行かないといけないと思います。
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