ペルーと日本の二重国籍政治家フジモリ元大統領が不整脈で集中治療
こんにちは、水野です。
ペルーの元大統領フジモリ氏が不整脈のため病院の運ばれ、集中治療をしていたことが明らかになったと南米ニュースが報じた
フジモリ元大統領のことは今の若い人は知らないと思いますので、簡単な経歴です。
1938年、ペルーの首都リマのミラフロレス区で仕立物屋を営む父・直一と母・ムツエの間に生まれる。父親は熊本出身で1934年にペルーへ移住した移民である。彼が誕生すると両親はリマの日本公使館に出生届を提出して日本国籍留保の意志を表したため、フジモリは日本国籍を所有している。
という学者畑を歩んでいましたが
1990年ペルー大統領選挙に当選 当初はダークホース的な存在だったが、
支配者層が対立候補の新自由主義に疑問を持たれ味方につけることに成功したことが要因でした。
大統領になったフジモリは自分が移民だという経験から貧困層の支援する政策を行った。しかし、その政策でうまみを失った富裕層から反発を買うことになります。
ペルーはアメリカの影響力が強くアメリカのゆうことを無視してペルー貧困ファースト政策をしていたフジモリに対して良いイメージをもっていませんでした。
そして、そのようなフジモリ氏に不満をもった層が爆発してクーデターを起こしたのではないかと思われます。
2000年に大統領選挙に落選し、敵対関係を持っていた富裕層や特権階級からペルーから追放される流れになり、もともと日本国籍を取得していたフジモリ大統領は日本に亡命し亀井氏の国民新党から立候補したものの落選。
しかし、これが二重国籍であることがばれることになり2006年に再び大統領選挙に立候補を予定していたが、ペルーの法律では二重国籍は立候補できない法律を無視して大統領に当選したことは犯罪として逮捕される。そして禁錮6年と2年間の公民権剥奪と40万ソル(約1500万円)の罰金を命じた有罪判決を受ける。
という大統領です。
参考資料
彼の実績は混迷していたペルーの経済の立て直しに大きな貢献をしたことと、麻薬組織および左翼ゲリラを中心としたペルー国内の混乱に一定の歯止めをかけた実績が評価されている。
南米で東アジア人として初めて南米の元首になった日系人。波乱万丈さに驚きます。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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